『十五の夏(上)』まだ見ぬ世界に惹かれて
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元外交官の佐藤優が、自身の初めての海外旅行である高1の夏休みの東欧ソ連一人旅行をつづった体験記だ。40年以上も前のことのはずなのに、まるで目の前で繰り広げられているかのような詳細な記述に感心する。著者のずば抜けた記憶力もあるだろうが、それらの出来事がそれだけ深く心に残る体験だったということだろう。
語りは淡々とした筆致で進められる。しかし、トラブルあり、出会いあり、ときに社会主義国の厳しさを感じさせる出来事もあり、まるで冒険記を読んでいるかのように先が気になって、ページを進める手が止まらなかった。
上巻では、日本での旅行の準備から始まって、エジプト、スイスを経由して東欧を周遊するところまでが描かれている。一握りの不安と、カバンから溢れるばかりの好奇心を抱えて、少年は一人旅立つ。行く先々で出会う人々とつかの間の関係を育みながら、本からだけでは決して気が付けなかったことを体験し、知る。
15歳を迎える若者たちにももちろん読んでほしい。知らない世界を夢見る気持ちを育んでほしい。
しかし、この本をお勧めしたいのは若者だけではない。僕のような、15歳のときに何も経験しなかった人にこそ、この本で旅に出てほしい。
自分も何かをしたかった、忘れられない経験がほしかった。そんな想いに胸が締め付けられたなら、一度周りを見回して、まだまだ遅くないことに気付いてほしい。今からでも挑戦できることは、誰にだって数えきれないほどあるのだから。
【評価】 ★★★★★ 5点満点
- 『十五の夏(上)』
- 佐藤優
- 433ページ
- 幻冬舎
- 発売日: 2018/3/28
- 1,944円
読んでいると、とにかく旅に出たくなる。こんな体験を自分もしてみたくなる。それらの体験は、旅の途中に出会った人と話したというようなことだ。特別なことはなくて、誰にでも味わえそうな経験なのに、やはりどこか特別なのだ。
一人旅だからなのか、他人が行かないような場所だからなのか、15歳という若さだから味わえたものなのか、恐らくそのすべてが要因なのだろう。食事をするのも電車で移動するだけでも何だかドラマを感じてしまう。宿で同室になっただけの若者たちが、確かな輪郭を持ってそこに存在している。
驚くは著者の観察眼だ。弱冠15歳とはとても思えない。異文化の人々とたどたどしい英語コミュニケーションをしながら、その裏側に相手が何を考えているのかに想いをやり、ときには遠慮し、ときには主張もしながら距離を縮めていく。外交官としての適性はこの頃から発揮されていたのだと感じる。
外から見えていたイメージとは異なる
ハンガリーの書店で、日本語が話せる書店員と著者はソ連についての会話を交わす。
「ハンガリー人はロシアが嫌いじゃないんですか」
「ソ連を好きな人はいないと思います。ロシアとなると別です。ロシアが嫌いな人もいれば、好きな人もいます。フィフィのお姉さんは大学でロシア文学を専攻しました。ロシア文学を愛しています」
第四章 フィフィ
ソ連とロシアに違いがあることに、外の世界から見ているだけではなかなか気が付けない。しかし、ソ連に組み込まれて、その中で暮らしている人たちにとって、それは全く異なるものなのだ。
そして、そのソ連に対する感じ方も、日本での読書を通じて感じていた印象とは異なった。ハンガリー人はソ連軍によって弾圧された経験があるので、ソ連と社会主義に対し、民衆レベルでは反発をしているものだと著者は思っていた。しかし、実際に目で見て、話を聞くと、どうもそうではないことがわかった。
確かにハンガリー人は、ソ連を嫌っている。それだからといって西側に憧れているわけでもない。国民は社会主義体制のハンガリーを愛していて、カーダール政権は指示されている。
第五章 寝台列車
一方、ルーマニアで出会ったドイツ人は語る。
「対外的な自主外交と国内統治は違う。この国の内政は実に酷い」
第五章 寝台列車
ソ連に反抗的な態度で外交をしていたルーマニアを、西側諸国は肯定的なイメージで宣伝していた。東側の社会主義国でありながら、自由がある国だと。
しかし、その実態は、自由とは遠くかけ離れたものだった。
自分の目で見るということ
部屋に戻ると涙が出てきた。どうして、涙が出るのか、よくわからない。母親が熱を出したという話が気になった。母親にこんなに心配をかけるのなら、無理を言って、旅行をしなければよかったと思った。
第三章 マルギット島
ハンガリーから日本へ国際電話をかけた著者は、電話に出た妹と手身近に近況を交換する。妹は、自分のことを心配して母親が寝込んだという話をした。自分が旅に出たせいで母親が倒れたことを気に病む著者。
一瞬旅に出たことを悔やむが、しかし、すぐに考えを改める。自分が色々な経験をして帰れば母親が喜ぶはずだ。だから、もっといろいろなことを見て、現地の人と話をするのだ、と。
海外で経験するべきこととして、現地の人と話をすることだと考えていることがすごい。普通の人なら海外旅行に来ても、観光地を巡って美味しいものを食べれば十分だと考えるだろうに。文化というのが歴史的な遺産ではなく、そこに住む人の暮らしだということがわかっていたのだろう。それには、日本で交わした父との会話から学んだものなのかもしれない。
「『モスクワわが愛』は、どこが面白くないの」
「ロシア人の普通の生活が感じられない」
「普通の生活?」
「そうだ。食事をするシーンがほとんど出てこない」
第四章 フィフィ
父は、自分の目で生活を見てくることの大事さを語る。その国について、映画や本で知れることと、実際に目で見てくることは質がまったく異なると。
人との出会い
また、ところどころで、著者の出会いに対する想いにハッとさせられることがある。例えば、東欧に来た大きな目的の一つ、ハンガリー人のペンフレンドであるフィフィにやっと会えたときのことだ。
フィフィは、うちに泊まれと著者に提案する。
「マサルはわが家の客人なんだから、ホテルに泊まったらダメだ。世話は全部、僕たちがする。カネは一切、払わせない。今晩から一緒に泊まろう」
しかし、著者は断った。もちろん、フィフィと一緒にいたい気持ちはあった。しかし、今ホテルをチェックアウトすると、夜のスタッフに会うことができないまま去ることになる。これっきりの出会いであっても、その縁をけっして粗末にしない。
マルギット島とヴェヌス・モーテルには、思い出がたくさん詰まっているので、特別にサンドイッチを作ってくれたシェフ、マルガリータの手紙をロシア語から英語に訳してくれた技師と夜の支配人、その他の細かなことで親切にしてくれたホテルの人たちに、感謝の気持ちを伝えずに去ることはしたくなかった。
第四章 フィフィ
価値観を変える経験
「あなたのお父さんとお母さんは的確な判断をしたと思いますよ。15歳のときに海外旅行、それもほとんど日本人が行かないソ連や東欧を旅行すると、その経験は一生活きます。ものの見方や考え方が、他の人と違ってきます」
第三章 マルギット島
15歳という若さで一人でソ連を旅行する著者に、出会う人々はみな「その経験があなたを変える」と口々に繰り返す。本文中では「たった40日間の旅行が本当に一生を変えるのか?」と懐疑的なことを書いているが、英語教師を目指していた佐藤少年が外交官になった事実からも、この経験が著者に大きな影響を与えたことは明らかだ。
体験記を読んでいるだけで、こちらまで変わりたくなるのだ。実際に体験した著者が変わらないわけはない。未知の世界への旅が、予測のつかない経験が、少年の人生を変えるのだ。
自分がこの経験で変わったことを、それを読者にも伝えたい。だからこそ、会う人会う人に同じセリフを言わせたのではないだろうか。
まだ旅に出たことがない人、いつかまた旅に出たいと思っている人、世の中には旅に憧れる人が数えきれないほどいるだろう。しかし、人それぞれ想いはあれど、時間もお金も旅に出ることをそう簡単には許さない。
そんな折には、まずはこの本の中で東欧を巡ってみるのも良いだろう。本の中に広がる世界がイメージできたなら、あなたの想いはもう一歩目を踏み出しているだろう。
下巻に続く
下巻では、いよいよソ連に入る。ソ連人は自由な交流が制限され、観光客も予め決められた通りの旅程をこなす旅になる。 残念ながら、下巻では旅の振れ幅は大分落ち着き、その分体制に対する考察や思想の話に寄っている。だいぶ毛色が変わっているかもしれないが、上巻を面白く読めたのなら下巻もしっかり楽しめるだろう。
歳はアラフォー、性別は男。風薫る季節、北の大地で生を受ける。家庭なし、収入なし、計画性なし。まだ知らぬ場所での生活にあこがれて旅立ってしまったアラフォーマン。
2019年5月に日本を離れ、デンマーク、リトアニア、ジョージアなどで学校に通ったりしながら過ごす。2024年9月現在、日本語を教えるボランティアとしてベトナムに滞在中。
好きなもの:公園、散歩、ジャグリング
苦手なこと:料理、おしゃれ、あと泳げません