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アラフォーからの挑戦状。

アラフォーマンの英語力

こんにちは、アラフォーマンです。
今日は僕個人の英語力についてお話ししたいと思います。

正直、大した英語力は持ち合わせていないのですが、少しずつ学習を続けて、外国からの人たちとも最低限のコミュニケーションは出来るようになってきたというところです。本当に最低限なのでまだまだ大変ですけど、楽しいですよ。

学生時代のアラフォーマン

英語は学生時代から苦手でした。

当時は英語のことを暗記科目だと思っていて、全然好きじゃなかったんです。教科書に書いてある単語や文法を覚えたかどうかで点を競う、そんなことをして意味があるのかと。受験のための勉強じゃないかと。英語は僕にとってほとんど面白味を感じられない、ただの教科でした。
小テストなど、ことあるごとに赤点ばかりでした。補習課題が課され、そしてまた英語から気持ちが離れる。そんな悪循環でした。

また、英語を覚えたところで使いどころがないとも思っていました。北の片田舎に住んでいた僕には、帰国子女や外国人旅行客といったものに触れる機会はありません。それは別世界のお話でした。
海外とは、ただテレビの中にだけ広がっている世界。ティーンエイジャーマンだった当時の僕にとって、剣や魔法の世界と大きな違いはありませんでした。現実世界で剣の振り方を練習しないのと同じで、英語習得に向けた努力をしないこともまた、僕にとってはあまりにも自然な選択でした。

もちろん、大学受験では英語の勉強もしました。どうにかこうにか他教科の足を引っ張らないように必死に勉強もしましたが、それでも英語に対する気持ちは冷めたままでした。

社会人時代のアラフォーマン

会社に勤め始めてからも英語は上達しませんでした。

僕はエンジニアとして、とある装置メーカーで機器の開発をしています。基本的には海外と関わることのない部署です。
と言って、英語に触れる機会が全くのゼロというわけでもありません。開発に使うソフトは英語でしかサポートがなかったり、新しい技術を学ぶためには英語で調査をしなければいけなかったりします。

しかし、英語が苦手なトェンティーンズマン(20代)だった僕は、できる限り英語を避けて業務を進めていました。
新しい技術は日本語での解説が公開されるまで待ちます。国際的な展示会への参加は見合わせて、国内のイベントにばかり足を運びます。それでもどうしても英語が必要なときには、英語のできる同僚の力を借りて乗り切ります。

英語が必要なのは自覚しています。しかし、なんとか理由をつけて逃げて、克服する努力もしませんでした。
そんな状態だったので、社会人になっても英語力は成長しませんでした。するわけがありませんでした。当然です。

海外を知るアラフォーマン

きっかけは32歳の夏に訪れます。

知人と出かけた海外旅行でのことです。見たことも考えたこともなかった世界がそこに広がっていました。今まで良く知らなかった海の向こう側は、フィクションの世界ではないと気付いてしまったのです。

憧れました。胸を打たれました。知らない土地で暮らしてみたいと望みました。でも、そのためには、自分に圧倒的に足りないもの、立ちはだかる高い壁があることも認識していました。

それは、そう、語学力です。
語学力を磨かなければならない。ただ旅行がしたいのではなく、知らない土地で暮らしをしてみたいのだから。そこにいる人々と、コミュニケーションをしたいのだから。

海外を目指すアラフォーマン

アラサーマンだった僕は、さっそく英語の勉強に取り組みました。まだ具体的な計画は固まっていなかったけれど、どこに行くことにしても英語力は自分を助けてくれるはず。

ただ、このときはまだ自分の気持ちに対して確信はありませんでした。
本当にやりたいことなのか。ただ一時のブームで終わるのではないか。
それで、一年間のお試し期間を設けることにしました。もし、英語の勉強を一年続けられたなら、そのときは自分の気持ちを認めて挑戦しても良いだろう、と。

そして一年が経ちました。英語の勉強は続きました。思っていた以上に英語力の成長はスローペースだったけど、本当に海外に行ってみたいんだと納得することができました。勉強は苦ではなく、目標を追いかける楽しさを感じていました。

まだまだ準備は不足しているものの、改めて自分の気持ちを確認し、出発の時期を3年後に定めました。それまでに海外生活の情報を集める。生活費を蓄える。そして語学力を磨く。

出発と決めた夏が、今年、2019年に訪れます。あとはもう行くしかないですね。
その前に、アラフォーマンの英語力はどれほど磨かれたのでしょうか。

アラフォーマンの英語力

過去の英語力を、TOEICのスコアを参考に見てみましょう。今までTOEICは2回受験しています。

31歳のときは410点でした。
このころは簡単な文章も作れませんでした。外国で切符を買うにしても、「アイ ウォント チケット」と言うのが関の山。”When?”と聞かれてもうまく答えられませんし、”Express or local train?”と言う質問も全く聞き取れません。画面を指さして言葉を使わずにコミュニケーションをしていました。

34歳のときは600点でした。
このころは少し交流ができるようになってきました。日本で外国人の知り合いと「ウェアー ディヂュー ゴー?(Where did you go?)」、”Shibuya”、「グレイト!」といった会話を楽しんでいました。それでも雑談はまだまだ無理です。

そして今。
相手がゆっくり聞いてくれれば、言いたいことは伝えられるようになりました。ザ・ジャパニーズな発音も、練習の成果でだいぶ改善されてきました。向こうの言うことも、何度も聞き返しながらですが、それなりに理解できるようになってきました。簡単な話なら雑談ができるようになりました。

明日、3度目のTOEICに挑戦してきます。

具体的な目標と言われると難しいのですが、頑張ったことへの手ごたえを感じられるように。少しでも自信につながる結果を目指して、精一杯勝負してきます。

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